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「道具としてのスケッチ」参加者の声

更新日:2023年12月27日


DLX DESIGN ACADEMYにとっては設立以来の念願だった山中俊治先生のワークショップをようやく実現することが出来ました。

本ワークショップはアートとは一線を置いた「道具としてのスケッチ」をテーマとし、Day1に観察と理解、Day2にアイデアのためのスケッチをテーマとして行われました。参加者は数多くのスケッチを実践し、ものの見方・認識方法、手の動かし方や姿勢・体の使い方、「観察スケッチ」の手法、アイデアの描き方などを体得いただきました。参加者にはプロダクトデザイナーなどアカデミックなスケッチを学んだ経験がある方と、スケッチはまったくのしろうとという方が同席して、時には個人で、また時にはグループディスカッションをまじえてワークを進めました。描くということの奥深さと無限の可能性ゆえか、会場には特別に豊かな空気が流れていたように思います。

参加された松下文哉さん(東京大学共同研究員)から感想文を寄稿いただきましたので、以下にご紹介いたします。どうぞお読みください。


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講義冒頭では、1枚目に「名称」としてのニワトリ、2枚目に「構造と機能」としてのニワトリ、のスケッチを描いたわけだが、面白いほどに全く違う絵になる。この体験が、私が学んだすべてといっても過言ではない。1枚目から2枚目にかけて“絵がうまくなる”、“ならない”という話ではなく、モノの見方が変わる様を体験する。「見方が変わる」という体験は貴重であるし、なにより楽しい。


少し私自身の話になるが、私は分野としては土木工学と情報工学の間の仕事をしている(気がする)。よって「専門性は何?」と聞かれると答えに窮する。尊敬する土木技術者は周りいる、同年代で凄腕のプログラマが身近にいる。では私はというと、その間にいる(気がする)。悲観的に見れば、どちらの分野にも自分より凄いプロフェッショナルがいて劣等感を覚える。楽観的に見れば、間にいるからこそ、なんとなくプログラミングではない土木のための情報がある気がしていて、興味が尽きない。しかし、自分の興味範囲が言葉や既存の専門分野として言い表せないことに対して、興味と焦燥感のようなものの間に一種の葛藤を覚えることも事実である(これがこの先、仕事として続けられるのかという意味でも)。


授業の最後に、講義の題目であった「道具としてのスケッチ」をどのように切り拓いてきたのかといった趣旨の質問を僭越ながら投げさせていただいた。これに対し山中先生から「美術ではないスケッチがある気がしている。これに気が付いたことにワクワク感を覚えた。一方で、自分しか気が付いていないかもしれないものを進めることは孤独感もある。」という回答をいただいたと記憶している。この回答は、私にとっては一種の安堵感を抱かせるものであり、印象深く記憶されている。


本感想は、これを見返したとき本人が今の感覚を思い出すためになるべく気持ちのままに記述した。このため拙文であることは自覚している。この点を謝りつつ、もう一つだけ感想を加えたい。Day2で山中先生が描かれたイカは、私の主観では「美味しそう」に感じた。なぜ美味しそうに感じたのか。「名称」としてのイカ、「構造と機能」としてのイカという観点で、これを考察すると自分の中では一定の結論にたどり着けた。この考察を得られたことは、講義を受講した一定の成果であったと思う。


松下文哉

東京大学 共同研究員



<プログラム概要>


プログラムタイトル:道具としてのスケッチ


講師:山中俊治(デザインエンジニア、特別教授、東京大学生産技術研究所)


開催日時:2023年

Day1: 12月7日(木) 13:00-16:00、Day2: 12月14日(木) 13:00-17:00


形式:会場実施(アカデミーヒルズ、ARCH)


内容:こちらをご覧ください。






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